島の突端にある角島灯台。
石造りの灯台は、イギリス人技師の設計によって明治9年に
完成したそうな。
地上からの高さは約30m。
内部は有料で公開されているので(@200)上ることに。
「俺は上ったことがあるけよか。」
という殿と行動を別にして、一人でリズムよく上ってく。
らせん状の階段が105段。
さらに、急な梯子状の階段を最後に上ると、この景色。
うわ~おぅ
周囲がカップルばかりの中、一人でハァハァ言いながら
写真を撮りまくる女が一人・・・。
いいのだ。痛くても。
さらに海岸の方へ行くと、小さな小さなお社がポツンと建っていた。
自然石の玉垣で囲われた中、ソテツ(・・・だったかな?)と石の祠が見える。
周囲に案内板等はなく、社名など分からずじまい。
きっと地元の人の大切な場所なのだろうと、鳥居をくぐるのは自粛。
玉垣の傍らには、はまゆうが群生していて南国チック。
石造りの灯台は、イギリス人技師の設計によって明治9年に
完成したそうな。
地上からの高さは約30m。
内部は有料で公開されているので(@200)上ることに。
「俺は上ったことがあるけよか。」
という殿と行動を別にして、一人でリズムよく上ってく。
らせん状の階段が105段。
さらに、急な梯子状の階段を最後に上ると、この景色。
うわ~おぅ
周囲がカップルばかりの中、一人でハァハァ言いながら
写真を撮りまくる女が一人・・・。
いいのだ。痛くても。
さらに海岸の方へ行くと、小さな小さなお社がポツンと建っていた。
自然石の玉垣で囲われた中、ソテツ(・・・だったかな?)と石の祠が見える。
周囲に案内板等はなく、社名など分からずじまい。
きっと地元の人の大切な場所なのだろうと、鳥居をくぐるのは自粛。
玉垣の傍らには、はまゆうが群生していて南国チック。
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夕ごはんの材料を買いに行くと、美味しそうな新じゃが発見。
夕食はコロッケに決定♪
レストラン風に書くと・・・。
・長崎産新じゃがのコロッケと福岡産ニンジンの葉っぱのかき揚げ
(福岡県若松産早生キャベツ、山口県豊浦産ブロッコリーを添えて)
・山口県豊浦産ほうれん草の白和え
・鹿児島産グリンピースのごはん
こう書くと、大層な野菜のようですが、どれも100円~200円位で
買った旬の春野菜たち。
春のお野菜はエネルギーがありそうで、食べる人間も
元気になりそうな気がします。
にんじんの葉っぱのかき揚げは、あまり殿は好みでないようだけど、
捨てるのもったいないんだもーん。
で、「あ、またコレがある。」と言われながらも、めげずに
油を使ったついでに揚げちゃいましたよ。
コロッケは作るのが面倒なので、やる気になった時に・・・と作ったら
この量。
うち2人なんですけど・・・。
しばらくコロッケ三昧、コロッケ祭りな日々になりそうです。
ニュースで流れる映像が、東京駅のホームを映し出している。
ブルーの車両には、人だかり。
声が重なって聴き取り辛いが、その塊を解きほぐすと
「さよなら」「ありがとう」の声・声・声。
寝台列車「銀河」の最終発走の光景だ。
同じく今日、九州でもひとつのブルートレインが幕を下ろす。
熊本、長崎-京都を結ぶ「なは・あかつき」だ。
いつか寝台特急に乗って夜を越えてみたいと思いながら叶わないまま、
この日を迎えてしまった。
この車両にはレガートシートがあって、何度かほんのひと駅だけ
乗ったことがある。
片道2時間半の通勤をしていた時、時々「あかつき」の発車時刻に
ホームに着くことがあり、前後の普通列車に乗るよりも早く帰れるため、
特急通勤定期にレガートシート代300円-500円をプラスして
利用したのだ。
乗るたびに、荷物を持って寝台車両に乗り込む人が羨ましく、
私もいつかこれに乗って京都に行ってみたいなぁなんて思っていた。
ひとつ便利になって、ひとつ古いものが姿を消す。
時の流れの中では当然のことである。
ダイヤル式の電話も、ガチャガチャとチャンネルを回すテレビも、
付録でついていた赤いペラペラのレコードも、カセットデッキも、
いつの間にかとても珍しいものになってしまって、
すごく便利で奇麗な世の中になった。
なのに、なぜだかつまんない気がするのはなぜだろう?
ブルトレだって、乗りたいと思ってるだけで実際は乗っていない車両だもの。
感傷のために動かし続けるわけになんかいかない。
わかっちゃいるけど、何だかとっても寂しいのよ。
ブルーの車両には、人だかり。
声が重なって聴き取り辛いが、その塊を解きほぐすと
「さよなら」「ありがとう」の声・声・声。
寝台列車「銀河」の最終発走の光景だ。
同じく今日、九州でもひとつのブルートレインが幕を下ろす。
熊本、長崎-京都を結ぶ「なは・あかつき」だ。
いつか寝台特急に乗って夜を越えてみたいと思いながら叶わないまま、
この日を迎えてしまった。
この車両にはレガートシートがあって、何度かほんのひと駅だけ
乗ったことがある。
片道2時間半の通勤をしていた時、時々「あかつき」の発車時刻に
ホームに着くことがあり、前後の普通列車に乗るよりも早く帰れるため、
特急通勤定期にレガートシート代300円-500円をプラスして
利用したのだ。
乗るたびに、荷物を持って寝台車両に乗り込む人が羨ましく、
私もいつかこれに乗って京都に行ってみたいなぁなんて思っていた。
ひとつ便利になって、ひとつ古いものが姿を消す。
時の流れの中では当然のことである。
ダイヤル式の電話も、ガチャガチャとチャンネルを回すテレビも、
付録でついていた赤いペラペラのレコードも、カセットデッキも、
いつの間にかとても珍しいものになってしまって、
すごく便利で奇麗な世の中になった。
なのに、なぜだかつまんない気がするのはなぜだろう?
ブルトレだって、乗りたいと思ってるだけで実際は乗っていない車両だもの。
感傷のために動かし続けるわけになんかいかない。
わかっちゃいるけど、何だかとっても寂しいのよ。